弊社は、2022年1月26日、「人材育成セミナー」をオンライン形式で開催しました。同セミナーは経営層や人事/人材開発担当者、デジタルトランスフォーメーション(DX)を担当する情報システム部門の責任者といった方々を対象にしたもので、今年で8回目となります。
今回は、2022年1月に策定した新たなブランドメッセージである「人と組織の未来を共に創る。」をセミナーテーマに掲げました。「個人」と「組織」が共に成長するためには、どのようなマインドとアプローチが必要なのでしょうか。
セミナーでは、東京2020オリンピック競技大会で金メダルを獲得した元プロ卓球選手の水谷隼氏と、法政大学キャリアデザイン学部教授の田中研之輔氏を迎え、お話を伺いました。
企業を取り巻く環境は大きく変化しています。Covid-19の世界的な流行は、いまだに収束の兆しが見えません。この2年間で、われわれのライフスタイルやワークスタイルは大きく様変わりしました。リモートワークや在宅勤務が日常になり、対面よりも画面越しでのコミュニケーションが当たり前になっています。企業にはDX推進が求められ、ビジネスモデルの革新やイノベーションの創出は待ったなしの課題になりました。
そのような状況の中で、従業員(個人)と企業(組織)が持続的に成長していくためには共に力を合わせて新たな挑戦やパフォーマンス向上に取り組み、未来を切り開いていかなければなりません。
これからの人材に必要なのは、時代の潮流と複雑化・高度化した社会の変化を自分のことと捉え、どのような環境でも付加価値を創出できるスキルです。長期的なキャリア形成を念頭に、「未来のために今すべきこと」を考えて自律的に取り組む姿勢が求められているのです。
富士通ラーニングメディアは国内最大規模の総合人材育成企業として、企業と従業員とのエンゲージメント強化や組織の成長、そして従業員のキャリアアップを支援すべく、数多くのお客様と共に企業の成長と人材育成に取り組んできました。
中でも重要視しているのは、「お客様の成長スパイラルをサポートする」ことです。「成長スパイラル」とは、従業員一人ひとりの「知の蓄積」が「組織としての知の集合体」になり、さらに「組織の知」が個人を刺激し、その成長を作り出すという状態を指します。
富士通ラーニングメディアのソリューションは、企業のありたい姿に向けて、人と組織の成長スパイラルを作り出すことを目的としています。人材育成コンサルティング・研修サービス・学習管理システム・業務マニュアルの作成・共有サービスなどを通じ、顧客の経営課題に向き合い、理想の人材・組織を作り上げる支援をしています。「人と組織の未来を共に創る。」というメッセージには、こうした理念が込められているのです。
最初に登壇したのは、4回のオリンピックに出場し、東京2020オリンピック競技大会(以下、東京2020大会)で初採用された卓球・混合ダブルスで日本卓球史上初となる金メダルを獲得した元プロ卓球選手の水谷隼氏です。東京2020大会後に引退を表明し、27年間の競技者人生に幕を下ろしました。水谷氏は「卓球は個人競技ですが、ダブルスや団体戦もあります。東京2020大会の団体戦では『チームのために自分は何ができるのか』を常に考えていました」と、「個人」と「組織」との関係性について自らの体験を基に講演しました。
東京2020大会は異例ずくめでした。Covid-19の感染拡大の影響で開催時期が1年延期され、大会開始直前に無観客開催が決まりました。水谷氏は「正直、調整と準備が大変でした」と振り返るものの、すぐに気持ちを切り替えて練習に集中したといいます。
水谷氏が卓球を始めたのは5歳の頃。幼少期からその才能を発揮し、7歳の時に初出場した「全日本卓球選手権大会 小学校2年生以下の部」で準優勝したことから、本格的に卓球の道に進みました。「オリンピックに出場して金メダルを獲る」「世界一になる」という夢は、そのころからずっと持ち続けていたそうです。
そんな水谷“少年”に最初の転機が訪れたのは、14歳の時でした。日本代表の強化選手になったことから、卓球強豪国ドイツへの留学話が持ち上がったのです。水谷“少年”は「世界を見てみたい。もっと強くなりたい」との想いから留学を即決し、19歳までの5年間、ドイツで腕を磨きました。
ドイツ留学でいちばん驚いたのは、これまで受けてきた日本での指導や練習方法との違いだといいます。
「最初に驚いたのは、コーチと選手との距離が近く、選手が自分の意思をコーチに伝えることが当たり前だったことでした。日本でコーチは指導する立場でしたから、選手はコーチの言うことを聞いてひたすら練習をする。ハードな練習をすることが目的化しており、(それに耐えることが)美学のように考えられていました。しかし、ドイツでは選手ひとりひとりが自分のコンディションに応じて個別の練習メニューをこなします。自分にはドイツ式の練習のほうが合っていました」(水谷氏)。
自分に必要な練習は何か。どの部分を強化しなければならないかを選手が自律的に考え、コーチと相談しながら練習メニューを決めるのです。日本のように厳しい管理者がいない環境では、選手が自らを律しなければなりません。水谷氏は「そうした環境ではメンタルや判断力も鍛えられます。常に最高の状態でパフォーマンスを発揮するには、メンタルケアは重要な要素です」と語ります。
実は2012年のロンドンオリンピック以降、水谷氏にとっては苦しい期間が続いたといいます。ロンドンオリンピックでは期待されていたメダルを獲得できず、その後に続いた世界卓球選手権や全日本選手権でも金メダルに手が届きませんでした。
また、当時は男子卓球の注目度が低かったため、水谷氏は「自分が目立つことをして、卓球男子に対する世の中の関心を集めようとしていた」といいます。しかし競技の結果が伴わず、逆に目立ったことが裏目に出てしまいました。水谷氏は「誰も自分に期待していない。自分がお払い箱にされた気分で、孤独な日々を過ごしていました」と、当時を振り返ります。そんな水谷氏を奮起させるきっかけとなったのは、スポンサー企業の社長の一言でした。
「社長からは『見捨てられている今だからこそチャンス。これからの成績はすべて自分の手柄になる。だから力をつけて見せつけてやれ』と言われたのです。その一言で吹っ切れました。さまざまな経験を積んでもっと強くなろう。人と同じことはせず自分を信じて頑張ろうと気持ちを切り替えました。そして日本人選手が出場しないような世界大会にも積極的に出場し、自分を鼓舞して前を向きました」(水谷氏)。
卓球は個人競技でありながら、団体戦で戦うこともあります。東京2020大会で日本チームは銅メダルを獲得しました。水谷氏はチーム最年長のベテランとして個々の選手に合わせたコミュニケーションを取り、最高のパフォーマンスを発揮できるよう心がけたといいます。
たとえば、ダブルスを組んだ丹羽孝希選手は物静かなタイプだったため、水谷氏は聞き役に徹し、丹羽選手から話を引き出すようにしたといいます。その結果、丹羽選手側からも積極的に話をするようになり、東京2020大会では人が変わったような積極性を発揮し、見事結果を出しました。一方、15歳年下の張本智和選手に接するときは、言葉選びに気をつけて張本選手から話しをしてくれるよう近くで見守ったといいます。「こうしたコミュニケーションがあったからこそ、チーム一丸となって銅メダル獲得という結果が残せました」と水谷氏は振り返ります。
また、水谷氏は混合ダブルスを組んだ伊藤美誠選手とのコミュニケーションについても言及しました。伊藤選手は水谷氏の父親がコーチを務める「豊田町卓球スポーツ少年団」に4歳から通っていたこともあり、伊藤選手が幼いときからの知り合いで「兄弟のような仲」だと言われています。しかし水谷氏は「伊藤選手はビジネスパートナーのような存在です」と表現し、以下のように語ります。
「伊藤選手は12歳年下ですが、キャリアも経験も豊富なプロフェッショナルです。伊藤選手との会話は卓球の話がほとんどで、プロとしての必要最低限なコミュニケーションしかしません」。
* * *
日本男子卓球界を牽引してきた水谷氏が競技生活で培ったのは、自らのスキルだけでなく、第一人者としての矜持や後輩の成長を見守る姿勢、そして、どのような組織でも自分を律し、常に目標に向かって邁進するマインドでした。世界一を目指して着実に歩みを進め、“有言実行”した水谷氏の講演は、参加者の心を大きく揺さぶったに違いありません。
水谷氏に続いて登壇したのは、法政大学キャリアデザイン学部教授で一般社団法人プロティアン・キャリア協会代表理事を務める田中研之輔氏です。長年にわたりキャリア論や組織論を研究し、多数の関連書籍を上梓している田中氏は、「最先端のキャリア知見:個人と組織のこれからの関係性」をテーマに、ポストCovid-19時代に企業が取り組むべき人材戦略とそのアプローチについて講演しました。
「2022年に個人と組織の関係性を促進させるキーワードは、『Human Resource Management :HRM(人的資源管理)』から『Human Capital Management:HCM(人的資本管理)』への転換です。今後は人材を『資源』ではなく『資本』として捉えることが重要です」。
講演冒頭、田中氏はこれまでの人材に対する考え方を改める必要があると訴えました。
HRMは、人材をモノやカネと同様に経営の資源と捉えて管理する考え方です。これに対してHCMは、人材が持つ知識やスキルを最大化させることを目的とした考え方です。田中氏は「人材は継続的に価値を生む重要な投資対象です。企業は人的資本を最大化するために、『組織内キャリア』から『自律型キャリア』への転換を図らなければなりません」と説きます。
多くの日本企業においてキャリアとは、組織内で昇進するための“尺度”でした。しかし、今後は個人が自らのキャリアを自律的に考え、将来を俯瞰しながらキャリア形成をする姿勢が求められると田中氏は語ります。
「企業はキャリア トランスフォーメーション(CX)を実施し、キャリアのオーナーシップ(主体性)を『組織』から『個人』へ移行しなければなりません。やりがいや働きがい、生きがいを感じながら主体的に働く人材を、組織の中に増やしていくことが大切です」(同氏)。
田中氏によると、自律型キャリア形成を支援するプログラムを展開している企業は、従業員のエンゲージメントスコアが向上する傾向にあるといいます。「主体的なキャリア形成を支援する企業には、優秀な従業員が定着します」として、その必要性を以下のように説明します。
「自律する従業員が増えるとエンゲージメントが低下すると考える経営者もいますが、そのようなエビデンスはどこにもありません。従業員にとって主体的なキャリア形成ができる組織であれば、(従業員の)エンゲージメントは向上します。つまり、キャリア形成支援は人材育成のみならず、企業のブランディングやマーケティング施策にも直結し、経営戦略や事業戦略にも大きく影響します。優秀な人材の定着と獲得を狙うならば、自律型キャリア形成の支援は欠かせません」。
田中氏は自律型キャリアを「プロティアン(変幻自在)キャリア」と位置づけています。プロティアン・キャリアとは米国の心理学者であるダグラス・ホール(Douglas Hall)氏が1976年に提唱したキャリア理論で、「キャリアとは組織の理論ではなく個人によって作り出されるものであり、その成功基準は外的評価ではなく、個人の心理的な幸福感を重視する」という考え方に基づいています。
プロティアン・キャリアでカギとなるのが、「アイデンティティ」と「アダプタビリティ」であると田中氏は説明します。
アイデンティティは、従業員が持つ欲求や動機、価値観や能力を基に「自分らしくある」ことを指します。一方アダプタビリティは、従業員が社会や市場、組織のニーズに合わせて自律的に変化・改善し、周囲に適用しようという意欲を指します。これら2つを継続的に意識することで「組織」と「個人」の関係性はよりよくなるといいます。田中氏は、「企業は組織の視点で人材の能力を高める『人材開発』ではなく、個人の視点で能力や知識を習得し、長期的にキャリア形成する『キャリア開発』に重点を置く戦略を執ることが不可欠です」と説きます。
今後、田中氏が代表理事を務めるプロティアン・キャリア協会は富士通ラーニングメディアと提携し、自律型キャリア人材育成開発プログラムをオンラインで展開する計画です。今回の提携について田中氏は、「日本企業の生産性と競争力を、従業員の心理的幸福感が高いままに伸ばしていくことが目標です」と説明しました。
もう1つ、個人と組織の関係性を考えるうえで重要なのは、「キャリア資本」という概念です。キャリア資本とは、「過去に何をしたのか」ではなく、「キャリア形成のために今後何をすべきか」に焦点を当てた考え方です。次なるキャリアに向けて「何が足りないか」を整理して可視化し、不足部分を重点的に学ぶことで、次のキャリアに必要な知識やスキル、経験を蓄積していくのです。
企業がプロティアン・キャリアやキャリア資本という考え方を取り入れて実践するためには、人事戦略を根本から見直さなくてはなりません。講演中に設けられた質疑応答でもプロティアン・キャリアの実践に関する質問が多数寄せられました。
ある参加者からは「プロティアン・キャリアを推進する場合、既存の評価制度との兼ね合いが必要になります。公平性を図るためにはどのようなアプローチをとるべきですか」との質問が寄せられました。これに対し田中氏は、「従業員の成果をKPI(重要業績評価指標)だけで図らないことです」としたうえで、以下のようにアドバイスしました。
「過去の成果と同様に、これからの行動計画も『ポテンシャル評価』として取り入れることです。経営戦略や事業戦略と同等に、(従業員の)キャリア戦略も策定することが重要です」。
企業がプロティアン・キャリアやキャリア資本という考え方を取り入れて実践するためには、人事戦略を根本から見直さなくてはなりません。講演中に設けられた質疑応答でもプロティアン・キャリアの実践に関する質問が多数寄せられました。
ある参加者からは「プロティアン・キャリアを推進する場合、既存の評価制度との兼ね合いが必要になります。公平性を図るためにはどのようなアプローチをとるべきですか」との質問が寄せられました。これに対し田中氏は、「従業員の成果をKPI(重要業績評価指標)だけで図らないことです」としたうえで、以下のようにアドバイスしました。
「過去の成果と同様に、これからの行動計画も『ポテンシャル評価』として取り入れることです。経営戦略や事業戦略と同等に、(従業員の)キャリア戦略も策定することが重要です。」
セミナー終了後に実施したアンケートでは「大変有意義な時間でした」「講演者と司会の会話を交えた内容で、楽しく見ることができた」との声が多く聞かれました。在宅勤務やリモートワークが当たり前となっている今だからこそ、「人と組織の未来はどうあるべきか」を問い直す必要があります。
今回のセミナーは、従業員一人ひとりが自律型キャリアを形成するにはどうすべきかを考えるよいきっかけになったようです。
(更新日 2022/02/08)